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本語には、身体の状態を表して感情を表現する言葉がたくさんあります。

「腹が立つ」
「頭に来る」
「断腸の思い」

沖縄では、「チムドンドン」なんていうのもあります。
チムとは、肝臓の事らしいです。
胸がどきどきすることらしいですが、心臓ではなく肝臓であるところが面白いです。
実は、姿勢によって心臓がドキドキする人と、肝臓がドキドキする人がいるのです。
なぜそうなるのかはまだ説明できませんが、いずれできたら良いと思っています。


身体言葉を使う人は、感情とは身体の感覚を認識することで発生する物であることを知っています。
怒っているから腹が立つのでなく、
腹が立っていることを認識して怒っていると感じるのです。


かし、脳がすべてだ、と言う人は違う認識のようです。
西洋の人の感情に対する考えも少し違います。

心理学は西洋人の考えたものですが、それらの本を読んでも感情とはなにかを理解するのは難しいと感じます。
なにをそんなに難しく考えているのか、と思う事もあります。

脳が心を作っていると考える人は、感情も脳が発すると考えているようです。


は、
知覚(感じること)が先にあって、それを脳で認識するから心が生まれるのだと考えます。
その認識が細かいところが、人間の脳のすごいところで、だから人間の心はこんなにいろいろなものを生み出せるのです。

でも、知覚の鈍い人、感情のとぼしい人はそもそも心の源泉が少ないのでできることが限られてきます。


野口晴哉先生の著書にはよく、
「~でなければいけない」「~をやらねばならない」
で行動している人は、弱くなると書かれています。

その人の欲求や要求を土台にして行動しないとメリハリが出てきません。
欲求や要求の元は身体の知覚です。


それを無視して行動していると、自分の感情が分からなくなってきます。



口先生の著書に「心の使い方」という言い方が出てきます。
心は使えるというのです。

私もそう思います。

心は自分の中にある時もあるし、外にある時もあります。
遠く宇宙のはてまでも飛ばす事もできます。


でも、脳が心を作っていると考えている間は、心を自由に使うことは難しいと思います。
自分の知覚や感情が心の源である、それを認識して心が生まれる。
それがわかればコントロールする事もできる。
認識、制御するのが脳の働きだと理解すると心を使う事が簡単になってきます。

もちろん訓練は要ります。
自分の感情を知るために、身体の柔軟さが必要です。
心を制御するには、意思と想像の関係性について知る必要もあります。


心にベクトル、方向性を持たせると使えるようになりますが、その時に意思の力を使うと難しいのです。
空想や想像を使うことがコツです。

ベクトルや方向性を持たせるには、目標やゴール(最終地点)を認識することも大事です。



しは心の使い方が分かって来ると改めて思うのが、日本語に身体言葉がたくさんあることの凄さです。
身体言葉は、自分の感情にとらわれて感情でいっぱいになってしまう人からは出て来ないのではないかと思います。
身体言葉を使っていた昔の日本人には自分の心を使える人がたくさんいたのかもしれません。


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身体は分離しているものではありません。
多くの人は、「=頭」そして身体があると考えていると思いますが、
私は「身体」、そして頭(知識)があるというイメージで人を観ています。

どういうことか、例として緊張している時にリラックスする方法を取り上げてみます。

身体が分離しているのだとしたら、(=頭と仮定したら)、緊張している身体に頭で「リラックスせよ」命令すればリラックスできると思われます。

しかし、緊張している場面で(たとえば人前で何かを発表するなど)、自分に「リラックス、リラックス」と言い聞かせても、より緊張してしまうことがほとんどです。

意思の力で、「身体」に命令しても、反発が起こります。

では、どうするか、
心=身体なら身体を動かしてみるのが一つの方法です。
肩を動かす、首を回してみる、深呼吸してみる、手首をプラプラさせる、直接身体をほぐそうとすると緊張していることに気付いて、身体が緩みやすくなります。

もう一つの方法は、気分が緩むような事を思い浮かべるのです。
空想するのです。
楽しいこと、好きな事をしている時、人の身体は肩に力みがなく、下腹に弾力があります。
不思議なことに、楽しいこと、好きなことを想像する(思い浮かべる)だけで人の身体はそうなります。
何かを発表する時ならば、それが成功している場面を思い浮かべてもいいでしょう。

しかし、緊張している場面でそういうことを想像するのが難しいのは確かです。
「それができたら苦労せんわっ」と思われるでしょう。

緊張している時は、息を詰めているので、まず身体を動かして、息をふっと抜くと楽しいことなどを想像しやすくなります。
このふっと息を抜くことが大事で、一度力を抜くと人は集中力が増します。

少し話がそれましたが、今回言いたいことは、緊張している場面で、頭で「リラックス」という概念を取り出して実行しようとしても上手くいかないということです。
やはり人間も動物ですので、身体が動くから心が動く、心が動くから身体が動くのです

ところで、最近はスポーツ界などでも、身体を緩める事などが言われることが多くなりました。
でも、緩むと良いんだと思って、「緩め緩め」と身体に命令するとどんどん固くなります。
誰でも、命令されるのは嫌なものです。

やはり、心を無視して緩む事をやろうとしても無理があります。
私は踊りの練習に立ち合うことも多いのですが、「もっと柔らかく」とか「もっとメリハリをつけて」というような言い方をしている人がいると、逆効果なのにな、と思ってしまいます。

聞いている人が柔らかい動作をイメージしやすいように教えなければ意味がありませんね。

そして、それは私の課題でもあります。
柔らかいのが良いのだとしても、「柔らかい」ということが心で分からなければ、意味がありません。
反対に頭で作った「柔らかい」を身体に強いると、身体の調子が悪くなることさえあります。
力んで力んで力みきった末に、柔らかさを知ることもあります。

一つ言えることは、柔らかいということは、弾力があるということです。
緩む」と「たるむ」は違うということです。
ホントにリラックスすると身体が一つにまとまったように感じます。

この一つにまとまるということについても書いていこうと思います。

整体をやっていると人に言うとたまに、
「私もやってもらおうかな、自分はも曲がっているから」
というようなことを言う人がいます。

私はそういう人は勘の良い人だなと思います。

何故なら、身体が曲がっている事と、が曲がっている事を関連付けて捉えているからです。

身体は分かれていると思われがちですが、別のものではありません。
身体の曲がっている人は、物の感じ方、見方も曲がっています。
身体の曲がっていない人はいないので、自分が曲がっているからといって配はしないで下さい。)

例えば、
身体の右側の動きが悪い人は、イライラしやすくなります。
身体の左側の動きが悪い人は、クヨクヨするようになります。

これは、内蔵に起因しているようです。
右側には、肝臓があり、左側には、臓、胃があります。

(左側の動きが悪くても、交差するように肝臓に影響が出る人もいるので一概には言えませんが)

このように内蔵と感情を関連させて見る考え方は、いろいろあるようです。
一つは陰陽五行説です。
鍼灸や漢方などはこの考え方を元に治療をしているようです。
その理論では、肝臓は「怒り」、臓は「喜び」、胃は「思い」と対応しているとされています。

西洋発では、キネシオロジーというものがあります。
これは元々、筋肉と内臓が関連しているという考えですが、深く研究している人は、人間の感情と内蔵は因果関係があるという考えになるようです。

学問的になると難しいような気がしますが、自分のこととして考えてみましょう。

例えば、気が落ち込んでいる時は、下を向いていると思います。
そうでなくても下を向いて歩いていると、気が滅入ってきます。

これは身体で考えますと、
下を向いていると胸が縮んできます。
胸は肺です。陰陽五行説で肺は、「悲しみ」、「憂い」に対応しています。

やってみると分かりますが、大股でさっそうと歩きながら、悲しい事を考えるのは難しいものです。
また、空を見ながら歩いていて、クヨクヨするのも難しいと思います。

つまり、内蔵や筋肉が感情と関連しているなら、姿勢によって感情をコントロールできるということです。

でも、コントロールするといっても、身体が固いとそれも難しくなります。
厳密に言えば、筋肉の柔らかさが必要です。

何かあると直ぐにイライラする人は、肝臓辺りの筋肉の弾力がなくなっています。
また、キネシオロジーで言う、肝臓に対応する筋肉も固くなっています。(肩甲骨の間の筋肉や大胸筋)

筋肉が柔らかく、弾力があれば、感情をスムーズに表現しやすくなります。

人間の感情の癖を性格と決めつけないで、身体と関連して考えているところが、整体の面白い所ですね。
覚せい剤の使用で逮捕される人が増えているらしいです。
覚せい剤は使用すると、とても「ハイ」になって一週間でも寝ずに起きていられるとか。
自分がスーパーマンになったような気分にでもなるのでしょうか。
でも、身体はその反動で「ハイ」になった後は「ロー」になって何もやる気が起こらなくなるとか。
そうやって深みにはまっていくそうです。

覚せい剤で「ハイ」になる気持ち良さと、整体で求めてゆく「」の感覚はまるで逆の感覚です。

整体では、が落ち着いているときに味わえる「」の感覚をよいものとします。
が落ち着いているというのは、身体でいうと深い呼吸ができているときです。
深い呼吸ができて重が腰に落ち、肩の力が抜けてくると、頭もすっきりしてきます。
こういう姿勢ができると、自分を受け入れて、今の自分でいることが気持ち良いという感覚になります。
深い呼吸ができると、血の巡りもよくなりますし、なんだか身体が活性化してくるようで自分が生きているという実感が湧いてくるのです。

「ハイ」になっている状態というのは、身体が置き去りにされているようなものです。
簡単にいうと興奮している状態ですが、そういう時には人は浅い呼吸をしています。
「ハイ」の状態を維持しようと必死で身体が吸気を強いられているイメージです。

整体が求める「」の感覚はが満たされるような満足感があります。
「ハイ」になっているのは、満たされない自分を満たしていくような感覚、全能感とか、前へ進んでいく満足感です。

生きていくためには、どちらも必要なものでしょうが、今の社会や学校ではが満たされる整体的な「」の感覚を教えてくれません。

やはり、しっかりと休憩するからしっかりと動けるのです。
なにか暴走するように興奮して動いて、そして壊れて休むという生き方ではが疲弊するばかりです。
そして休み方を知らないために、止まることが怖くなって、他動的に「ハイ」になる薬に手を出してしまうことにもなってしまうのだと思います。

東洋では昔から深い息をすることを教えてきました。
座禅や道教などでも教えています。
そしてほとんどの健康法でも深い呼吸をすることを勧めています。

深い呼吸をするために一番必要なことは心も身体も緩むことです。
そのために整体があると言っても良いかも知れません。
緩むのは難しいからです。

実は整体で一番教えたいことは、緩むから、緊張できるということなのです。
緩んだ時の感、緊張する時の感、どちらも味わえたらその人は整体であるといえます。

快の感覚ひとつ取っても人間って奥深くて、面白いものですね。
というものは面白い。

というものは、つかまえようとしてもなかなかつかまえられない。
「こころ」とはころころ転がるから「こころ」と言う、という考えもあるくらいだ。

というものは、あるようでないようなものだが、そこに力を感じることはできる。

にはある一定の方向性を持たせることができる。

明るい未来を思えば、が明るくなるし、悲しんでいる人の側にいるとこっちのも悲しくなる。

目に心が働けば見て、耳に心が働けば聞き、舌に心が働けば味わい、といったことを言っているのはたしか仏教だったかな?

心にはベクトルというものはあるらいしい。

心で心をつかまえようとしているからつかまえられないと思っていたが、心に方向性を持たせることができるのはなぜなんだろう。

心に方向性を持たせるのは心ではないのか?

野口晴哉先生の本を読んでいると、人の心には身体と同じように自律する働きがあると書かれてあるが、そのへんに答えがあるのかも知れない。

今のところ、自分では気と心というものを分けて考えていて、気が集まったところに心が集まってくるのだと思っている。

気というものが何なのかは、分からない。
気は気だとしかいえない。

ただ、身体の緊張、弛緩の具合によって気の集まり方に変化が出るようだ。
それは、意識しての緊張、弛緩ではない。
自然な身体の緊張、弛緩の波による変化だ。

でも訓練によって気を集めることはできる。らしい。

自分は気を集めるという表現の仕方がイマイチよく飲み込めない。
気を導くというのはわかる。
気の流れというのもなんとなくわかる。

意識とはまた違うものなのだろうか。

いずれにしても、言葉に惑わされてはいけないような気がする。

100人いたら、100通りの「気」があり「心」があると思う。

プロフィール

tamon

Author:tamon
整体師首藤多聞の個人ブログ。
茨木市しゅとう整体非公式ブログ
一介の整体師として思っていることをつらつらと書いています
興味のあること、
野口整体、背骨、筋肉、心と身体の関係。
人間を理解するのに、身体というアプローチの方法がある事を教えてくれた整体の考え方に感謝、感激している毎日です。

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