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災害時に一番大事なのは冷静な判断力です。
特に大地震の後は、余震がひっきりなしに来るので、気持ちが落ち着きません。
体が強ばっていて、疲れもひどくなります。
私も阪神大震災のときに余震で気が滅入りました。

整体の知識がやくにたつかもしれません。
試してみてください。

大事なことは、
肩、首周辺の力が抜けて、氣を落ち着けることです。
下腹に心が落ち着くと、気持ちが落ち着き呼吸が深くなります。



【落ち着かないとき、浮ついた心の沈め方】

1 両手の中指をみぞおちに当て、「ハアーっ」と大きく息を吐く。
2 それを3、4回繰り返す 。
3 へそから指3本分下を中心に下腹を両手で数回叩きながら、最後に「ウンっ」と気合を入れる。
4 下腹に力が入れば、気持ちが落ち着く。



【落ち着かないとき、浮ついた心の沈め方 2】

1 丹田。へその下指3本分のところに片方の手のひらを当てて、もう一方はそれに重ねる。
(左右のどちらを上にするか、しっくりする方を選ぶ)
2 手のひらで下腹を温める気持ちで押さえていると、呼吸が深くなり気持ちが落ち着く。



【手のひらの中心の、鎮心の急所を押さえる】

1 手のひらの中心の位置、中指を折り曲げて指先が当たる位置を押さえる 。
2 中指でそのまま押さえてもよい。
心臓がドキドキするときに効果がある。



【気持ちが落ち着かない時は、肩に力が入っていないか確かめる】

1 力んで上がっている肩をもう一段上げるように力を入れて、「ホッと」力を抜く。
2 肩を後ろへ回し、前へ回す。
3 首周辺の力みが抜けると視野が広くなる。



【気分が興奮して休まらないとき、眠れないとき】

1 両手をこすり合わせて温める。
2 両手を目に当てて温める気持ちで押さえる。
3 首の後ろに手を当てるのも有効。
4 へそから指三本分下の丹田を片方の手で押さえてもう一方の手を重ねる。
5 呼吸が深くなって力みが抜けやすくなる。



【蒸しタオルが作れる場合(電子レンジ等で)】

・目に当てる
・耳に当てる
・顔全体に当てる
・首の後ろに当てる

両手をこすり合わせて手を温めて、その手を当てても効果があります。


地震のショックと余震の恐怖で体が固くなっていると思います。
一番疲れているのが、首周辺です。
酔ったような感覚がある人は、耳に手を当てたり、蒸しタオルを当てると和らぎます。


余震の中、眠るのも一苦労だと思います。
なるべく気分と体を休めるために役立ててください。
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私が最近考えているのは「」とはリズムではないかということです。

」はウンウン力んでみても出てきません。
身体がまとまって淀みなくなった時に出てきます。

やるがあればいくらやっても疲れません。やるがなければ直ぐ疲れます。
でもやるは出そうと思っても出てきません。
何故か知らないけどいきなりやるになったりします。
やる気になっている時に「勉強しなさい」といわれるとやる気は失せてしまいます。

どうやら「気」は自分の意思ではなかなかコントロールできないもののようです。

人気(にんき)がある人がいます。
人生の中でやたらと異性にモテる「モテ期」というものがあります。
普段人気(にんき)のない人でも、その人が得意な事をしている時は輝いて見えて人気が出てきたりします。

「気」とは身体の張弛のリズムに左右されているのではないかと思います。
人間には緊張の高まる時期と弛緩する時期が交互にきます。
一週間でもありますし、ひと月、年、身近なところでは一日の中で夜眠くなる時が弛緩傾向、昼の動いていたい時が緊張傾向です。

しかし、緊張傾向で気が高まり、弛緩傾向で気が弱まる、というふうに簡単にいかないのが難しいところではあります。
緊張していても、弛緩していても、身体が一つにまとまっている時は「気」が出ています。

そのまとまる時期とまとまらない時期に波があるのです。
身体には7日周期の変化と10日周期の変化、2種類の変化があるといいます。

その周期が重なった時は身体がまとまりやすく、そうでない時は乱れやすいのではないかと思っています。

緊張傾向の時にまとまりがよくなると、エネルギーの発散がよくなり人気が出る。
弛緩傾向の時にまとまりがよくなると、人にやすらぐ感じをあたえたりして人気が出る。

そういう波のうねりからうみだされるエネルギー、それが「気」なのではないかと今、考えています。
「運」といってもいいかもしれません。

でも、身体がまとまる方法がわかれば一定の「気」は出せるようになります。

どちらにしても、「気」は身体に付随するもの、もっと言えば、自然のなかにあるリズムの中から生まれるものであるのではないかということです。

なので、自分の「気」がわかればもっといろいろなことができるようになるし、楽に生きられるのではないかと思っています。

日本語には「」を使った言葉がたくさんあります。

(「」という字の中の×は止めるという意味で、「」という字の中の米は広がるという意味だから「」という字のほうが「」のイメージにあっているという意見があります。)

私がざっと思いつくままに書きだしてみてもこれだけあります。


が合う
に入る
がある  人がある 人がある(ひとけ)
気が変わる
気が滅入る
が立つ
が立つ 
気がつく  気のつく
気が通る  気を出す  気が澄んでいる
気が早い  気が遅い
気が集まる
そんな気がする
気が向く
気が済む
気が抜ける
やる気がある
本気 根気 
元気
気が引き締まる
氣枯れ(けがれ)
気が散る
気を回す  気が回る
気が利く
気が良い  気の良い 
気をやる
気のせい
気が上がる
正気  病気
気を許す
気を感じる

日本人は「何となくそう思う」、「そんな気がする」、ということを大事にしていたのだと思います。
それが言葉になり、その言葉を他人が聞いても理解できるということは、みんな何かしら「氣」というものを感じているのだと思います。

理論的で目に見えることばかり追っている人は「氣」という事を軽視しがちです。
しかし物事は理論でわかるものではありません。
全体を気で感じる人の方が案外本質をついているということがあると思います。

「氣」がわかると表面的なことで一喜一憂しなくなります。
精神の浮き沈みが激しくて悩んでいる人は「氣」とは何かということを考えるのもいいのではないかと思います。

一つ言えることは人を動かしているのは、「脳」だけではないということです。

上に上に上がっている「氣」を鎮めるためにも「氣言葉」を味わってみるのも良いかもしれません。
「気」というとどういうものを想像するでしょうか。

私が野口整体を習うまでは「気」というと何かエネルギーのようなものが手から出てくるみたいに思っていました。
私の世代はちょうどドラゴンボールが流行っていた時代で、子供時代にそういうイメージができ上がっていたのだと思います。

しかし野口整体で習った「気」は少し違いました。
100パーセント違うのではありませんが、野口整体でいう「気」は、もっと日常生活に密着したものでした。
「気がある」「気を合わす」「気が上がる」「気になる」という私達が普段使っている「気」という言葉にもっと近いものだと思いました。

私の受けた感じでは、「気」を手から出したりするような何か超能力的な事を言ってるんじゃなくて、もっと「気」ということに敏感になろうと言っているように感じました。

おそらく、文明開化するまでの日本人はそういう「気」の感じをもっと大事にしていたのだと思います。

今でも、日本人は後ろから自転車などが追い越そうとしたら、外国人より気付きやすいそうです。
ですが私の感じでは中年以降のおばさんなどは全然気付いてくれないという印象が強いです。狭い道を横一列になって歩いて平気なおばさん達も良く見かけます。

日本人が謙遜を美徳とするのは相手のことに「気付く」からではないかと最近思います。

相手の気にしていることをさっと察してそのように動くことを美徳としていたのに、そのことを理解できない鈍感な人が、「あの人は謙遜している」と思ったのではないかと勘ぐってしまいます。

「気」を感じるには、「気」を出すと言う能動的な感覚より、受け入れる、共感するという受動的なイメージを持つことが大事のように思われます。
それは、はたから見たら消極的に見えるのかもしれませんが、受け入れるということは積極的な心がないとできないことだと思います。


野口整体では「気」が下に落ち着いて頭の部分はすっきりしている状態を整体であると言っています。

身体が整わないと気は下に落ち着きません。

そして「気」が落ち着いてくると色々なことに気付きやすくなります。
他人の「気」がよく分かるようになります。
それは、まるで波立っていない水面に空が良く映るかのごとくです。

「気」が上がっている人は自分の事しか気付きません。
私の印象では野口整体は、「気を落ち着けてもっと穏やかに生きようよ」と言っているように感じます。

また、普段おとなしい人が一度怒るととても恐いように、「気」の落ち着いている人は「気」の出し方にもメリハリがあります。

「普段は穏やかに生きて、気を出すところでは出す」事ができると整体に近づいたのではないかと思われます。


野口整体の健康への道は「気」に気付くことにあるとも言えます。

身体は物質の固まりではなく、生命の営みによって成り立っていることに「気付く」ことが健康への第一歩だと思います。

気を通すという題名で書いているが、気を通すというのは少し語弊があるように思う。

気というのは、通そうと思うとなかなか通らないものだ。

気というのは、分かると通る。
分かるから気が通るのか、気が通るから分かるのか、それはわからないが。

分かると簡単に通るけど、分からないものを理解しようとする行為は気を通そうとする行為と似ている。

相手を理解しようと夢中になっていると、案外知らぬ間に通っていたりする。

気を通すという言葉が先に来ると、「ハアーツ」とか力んで通そうとしてしまうが、そういう時は相手は威圧感を感じるだけだ。

自分を押し付けるのではなく、相手を理解しようとすることが気を通すコツなのではないかと思うが、施術の時、分からないと焦ったりするのでなかなか難しいものだ。

気を通されると気持ちいいのは、理解されると嬉しいのと同じようなことなのだろうと思う。





プロフィール

tamon

Author:tamon
整体師首藤多聞の個人ブログ。
茨木市しゅとう整体非公式ブログ
一介の整体師として思っていることをつらつらと書いています
興味のあること、
野口整体、背骨、筋肉、心と身体の関係。
人間を理解するのに、身体というアプローチの方法がある事を教えてくれた整体の考え方に感謝、感激している毎日です。

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