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HOME   »  2010年03月10日
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野口晴哉先生の著書を読んでいて、「数息観」というのが書いてあったのでやってみましたが、なかなか良いものです。

ただ、座って、目を瞑って自分の呼吸を数えるというものです。
本来はインド等で行われていたもので仏教の修業でもあるようです。そこでは、色々な条件があるようです。
でも私は、ただ目を閉じて自分の呼吸をを数えるだけでいいのではないかと思います。
(野口先生もそれ以上に何も書いていません。)

野口整体の訓練にはこのように単純なものが多いです。
一番始めに習うのは合掌行気と言って、両手を合わせて、手のひらに気を集中する訓練です。
ただ、それだけの訓練です。

何故、そのような分けの分からない訓練をするのか今まで分からなかったのですが、野口先生の著作にヒントが少し書いてありました。
息を数えるという単純なことをずっと続けるのは難しい。
それを、100,150,200とだんだん増やしていけば、集中力が付くというものです。
「なるほど!」と思いました。

私が合掌行気を始めた頃は、なかなか集中できなくて頭で「う~ん」と言いながら手のひらに集中していたものです。
でもそれでは疲れてしまいます。
本当に集中していれば、疲れないものです。
やがて、手のひらでもう一つの手のひらを感じるようにして、その感覚を味わうようにすると集中が続くようになりました。

野口整体で一番大事なことは、集中するということです。
その集中力を養うための訓練だったのですね。

面白い話では、「畳の目を数える」というものもあります。
なんでそういうことをさせたのか分からなかったのですが、それも集中力を養う訓練だったのだと思います。

さて、数息観をやってみて、もう一つ面白いことに気付きました。
それは、息を数えることによって、息をするということに客観的になるということです。
「あっ、今深く呼吸した」
「なんか短いな」
「始めは間隔が短かったのに、だんだん長くなってきた。」
と客観的になるにつれて、息が深く、長くなります。
集中が増すと、自分が呼吸だけになるように感じます。その自分をどこか上から見ている感覚です。

息というのは、自分の感情などに連動して短くなったり、浅くなったりします。
その息をいったん突き放して見ることで身体の自然に沿った呼吸になるのだと思います。

私が昔、いろいろ悩むことがあって、禅の本などを読んでいた時にも、「いったん自分の心を離れなければならない」と言うようなことが書かれてありました。
自分の心が自分だと思って、その心に振り回されていたのです。

その言葉を思いだしました。

「数息観」、集中力をつけたい人はやってみると良いかも知れません。
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プロフィール

tamon

Author:tamon
整体師首藤多聞の個人ブログ。
茨木市しゅとう整体非公式ブログ
一介の整体師として思っていることをつらつらと書いています
興味のあること、
野口整体、背骨、筋肉、心と身体の関係。
人間を理解するのに、身体というアプローチの方法がある事を教えてくれた整体の考え方に感謝、感激している毎日です。

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