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口晴哉先生が、

「~ねばならない」
「~をしなければならない」

で行動すると人は弱くなる、とよく著書に書いていますがなぜでしょう。


ぜそうなるのか話す前にまず「弱くなる」とはどういうことか考えてみましょう。

野口整体では、

・ 病気一つしない健康体とか、
・ 痛みや悲しみなどを何一つ感じない強靭な心

というような人を強いとは考えていません。


では、どんな人が強い人でしょう。

・ 身体に故障があってもそのように生活でき、
・ 風邪を引いたら熱を下げるのでなく、経過させる心の余裕を持ち、
・ 自分の要求に従って行動できる人。

ひとことでいうならば「素直な人」でしょうか。


笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣き、
いつまでもこだわらないような心の持ち様を知っている人。

そういう人が本当に強い人だと思います。


野口整体でいう強い人を定義するなら、
「積極的に行動できる人」
と言えると思います。

自分の要求を行為で表すことのできる人とも言えるでしょう。


はいっても誰もが自分の感情をそのまま直接表せないとダメだと考えているのではありません。
泣く、笑うという表現方法でなくても人は表す事ができます。

例えば、
音楽という形で表現する
詩という形で表現する
手紙で伝える

自分の表現方法を持っていれば良いと考えています。

もちろん考えなければいけないのは、
他人を傷つけたり、自分を傷つけたりする方法は良くないという事です。

自分の表現方法を持っている人は、自分を表現するという「行動ができる」人です。


こでもう一度考えてみます。

「~ねばならない」
「~をしなければならない」

の人はなぜ弱くなるのでしょう。


そこにその人の「要求」や「感情」がないからです。
人は不思議なもので「要求」や「感情」を感じないと
行動できなくなるのです。


「~しなければならない」と考えている人は、
一見行動しているように見えますが、

自分で考えて、
やりたい事を知り、
そのために勉強をして、
やりたいことをやり、
生き生きと生活する、

というように積極的に行動することができません。


積極的に行動できない人は、自分の深い所で「要求」や「感情」が昇華されないまま渦巻いているのです。
それが、身体の不調として表に出てくるのです。

自分の「要求」や「感情」に敏感になることをしていないと、自分がなにをやりたいのかわからなくなり、「要求」や「感情」の昇華の仕方がわからなくなります。

そうすると、いつまでも不安や不満が消えなかったり、他人を傷つけてみたり、最後には自分を傷つけることにもなってしまうのです。



口先生は「全生」ということを言われています。
元は禅の言葉ですが、全部生きるということです。

命を全部使い切れば、後は安らかに死ねるというのです。

最後に少し重い話しになりましたが、
次回は、「行動と感情と想像」のようなテーマで続きのお話をしていきます。

最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。


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本語には、身体の状態を表して感情を表現する言葉がたくさんあります。

「腹が立つ」
「頭に来る」
「断腸の思い」

沖縄では、「チムドンドン」なんていうのもあります。
チムとは、肝臓の事らしいです。
胸がどきどきすることらしいですが、心臓ではなく肝臓であるところが面白いです。
実は、姿勢によって心臓がドキドキする人と、肝臓がドキドキする人がいるのです。
なぜそうなるのかはまだ説明できませんが、いずれできたら良いと思っています。


身体言葉を使う人は、感情とは身体の感覚を認識することで発生する物であることを知っています。
怒っているから腹が立つのでなく、
腹が立っていることを認識して怒っていると感じるのです。


かし、脳がすべてだ、と言う人は違う認識のようです。
西洋の人の感情に対する考えも少し違います。

心理学は西洋人の考えたものですが、それらの本を読んでも感情とはなにかを理解するのは難しいと感じます。
なにをそんなに難しく考えているのか、と思う事もあります。

脳が心を作っていると考える人は、感情も脳が発すると考えているようです。


は、
知覚(感じること)が先にあって、それを脳で認識するから心が生まれるのだと考えます。
その認識が細かいところが、人間の脳のすごいところで、だから人間の心はこんなにいろいろなものを生み出せるのです。

でも、知覚の鈍い人、感情のとぼしい人はそもそも心の源泉が少ないのでできることが限られてきます。


野口晴哉先生の著書にはよく、
「~でなければいけない」「~をやらねばならない」
で行動している人は、弱くなると書かれています。

その人の欲求や要求を土台にして行動しないとメリハリが出てきません。
欲求や要求の元は身体の知覚です。


それを無視して行動していると、自分の感情が分からなくなってきます。



口先生の著書に「心の使い方」という言い方が出てきます。
心は使えるというのです。

私もそう思います。

心は自分の中にある時もあるし、外にある時もあります。
遠く宇宙のはてまでも飛ばす事もできます。


でも、脳が心を作っていると考えている間は、心を自由に使うことは難しいと思います。
自分の知覚や感情が心の源である、それを認識して心が生まれる。
それがわかればコントロールする事もできる。
認識、制御するのが脳の働きだと理解すると心を使う事が簡単になってきます。

もちろん訓練は要ります。
自分の感情を知るために、身体の柔軟さが必要です。
心を制御するには、意思と想像の関係性について知る必要もあります。


心にベクトル、方向性を持たせると使えるようになりますが、その時に意思の力を使うと難しいのです。
空想や想像を使うことがコツです。

ベクトルや方向性を持たせるには、目標やゴール(最終地点)を認識することも大事です。



しは心の使い方が分かって来ると改めて思うのが、日本語に身体言葉がたくさんあることの凄さです。
身体言葉は、自分の感情にとらわれて感情でいっぱいになってしまう人からは出て来ないのではないかと思います。
身体言葉を使っていた昔の日本人には自分の心を使える人がたくさんいたのかもしれません。


「もっとよくボールを見て」
「最短距離でバットを振れ」
「ほら、タイミングが遅れている」

バッティングセンターに行くとよく見る風景です。
親子で来ていて、息子が打っている後ろで、お父さんがガミガミと一球ごとに注意しています。


息子は初めは打てているのに、だんだん萎縮していき、空振りや当たり損ねが増えて、そのたびにお父さんにガミガミ言われています。


こういう風景を見ると残念な気持ちになります。


いろいろと言いたい気持ちは分かりますが、やっている間にいろいろ言われて上手くなっている子供を見たことはありません。


の考えでは、初心者レベルの子供に教えることは、2つぐらいしかないと思っています。
それは、
「バットの握り方」そして、「バックスイング」です。


その他の事はバットを振っていくごとに自然と覚えていくことです。
子供は身体が柔らかいし、感性も優れています。
たくさんの事を意識させて混乱させるよりも、自分の感覚に集中することを教えて、1球ごとに工夫する事を教えるのがいいと思います。


ただ、バットの握り方は教えるべきだと思います。
前回書いたように小指に力を入れ絞るように握るのが大事です。


バットと自分の接点は全ての「基点」です。
そこが間違っていると、身体の力を発揮できません。
工夫しても身体の力を一つにまとめる事ができなくなります。


バッティングの要点はただ一つで、ボールにバットが当たる瞬間に自分の力がすべてボールに伝わるように力を一つにまとめることです。


小指に力を入れて握らないとバットに力が伝わっていかないのです。
身体の構造がそうなっているのです。


当は握りかただけでもいいぐらいですが、もうひとつ言うとしたら、「ためを作る」ことです。
「バックスイング」のことです。

力を一つにまとめるには、タイミングが必要です。
そのために「ため」が要ります。


でも本当は「握り方」をしっかり理解していれば「ため」は自然と生まれてきます。
身体がそういう風にできているのです。

反対に握り方を理解できない人には、バックスイングをしっかり取るように指導すると小指に力を入れるコツがつかみやすいかもしれません。


ろいろ書きましたが、ここで言いたい事は、子供は伸び伸びとさせて、自分で成長する可能性を信じて見守る方が上達が速いということです。

身体が一つにまとまって、力が一つにまとまっていないと、全力が発揮できません。
そのためには、心が集中している必要があります。


後ろからガミガミいうことや、注意することがその集中をどれだけ邪魔しているか想像して欲しいものです。


後ろから注意されている子供は、ボールに集中しているのじゃなく、お父さんに集中しています。
だから打てないのです。


体師の私がなぜこんなことを言うのかというと、身体が一つにまとまって全力を発揮できない状態が続くと、身体に不調が出てくるからです。

私の整体は、身体を真っすぐにするというよりも、力の偏りをなくし一つにまとまることを目的としています。
力の偏りこそが不調の原因と考えているからです。


人がなにかを工夫して、集中しているときは、身体は一つにまとまっています。
そうなるように導いた方が、何事も上達が早いと思いませんか。


バッティングセンターに行っていつも思う事です。


PS
最近はバッティングセンターへは行っていません。
手への負担が大きく、施術の時の感覚が鈍るからです。
野球好きの私には少しつらいですが、しかたないですね。
プロフィール

tamon

Author:tamon
整体師首藤多聞の個人ブログ。
茨木市しゅとう整体非公式ブログ
一介の整体師として思っていることをつらつらと書いています
興味のあること、
野口整体、背骨、筋肉、心と身体の関係。
人間を理解するのに、身体というアプローチの方法がある事を教えてくれた整体の考え方に感謝、感激している毎日です。

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